BodyTalkとYoga ボディートークとヨガ ektan-エクターン-櫻子です。
他人の物差しで生きてませんか。
人の物差しで生きてきて、自分の好きがわからなくなった「いい子な大人」の自分の人生についての考察。
人の「いいね」に疲れた時、自分を心地よくするチャンスかもしれません。
This is your life.
こちらの画像は、銀座店(ビクラムヨガ日本一号店 現zen place strong)と新宿店(2020年6月末閉店)のお手洗いに貼ってあったポスター。
トイレに行くたびに、
This is your life.
どうだい、きみは自分の人生を生きているかい?と聞かれている気がして
いつも内観させられました。
人の描いた線路を進むだけの人生は嫌だーなんて、昔はよく言われた気がしますが
今はどうなんでしょうね。
自分で選んで、自分で歩いて。
イメージは魅力的ですが、なかなかのエネルギーが必要です。
まず、何が好きなのか?
みんな即答できるのでしょうか。
生きるために「いい子な大人」
最近気付いたのですが、櫻子はかなりの怖がりです。
ボディートークに出会って、自分を掘り下げていくうちに
人に評価されないと生きていけない
人を喜ばせないと価値がない
という信念システム(ボディートーク用語;固定観念みたいなもの)があることに気づきました。
自分の価値を「人に評価してもらう」ことに置いていた
ので、
自分の好きなこと=人にいいと言ってもらえること
でした。
生きていくためには人の「いいね」を得なければならないと深いところで思いこんでいたのでした。
(こちらに関する記事;)
細かい記憶は残ってませんが、これが好き!と意思表示をしたときに
誰かが眉を潜めたり、ちょっと困った顔をしていたら、
これは好きじゃない方がいいのかもしれない
とすかさず自分の好きにNGを出していたと思います。
そんな風にして、自分をジャッジして、自分の好きを封じ込め、
結果、何が好きなんだろう?と自分の好みがはっきりしない「いい子な大人」が
出来上がっていました。
そして、客観的にみたらしあわせなんだろうけど?というしあわせの実感が薄い状態で生きてきました。
人の「いいね」は甘すぎる蜜
人が喜んでくれることは、とっても嬉しいです。
アドラー心理学では、しあわせは共同体感覚を得たときに感じるといいます。
共同体感覚はどこかに属していて、そこで役に立つ自分であると感じるということ。
人が喜んでくれることは共同体感覚=しあわせを味わえます。
SNSが日常になったことで、人の「いいね」が得られやすい世の中かもしれません。
素敵な画像を撮ってアップして、気の利いたコメントを書いて。
でも、物差しを「人」に任せていると苦しい時があります。
ずっと見ていて常に「いいね」と言ってくれる人はいません。
他人を「一番」にしている人なんていないんですよね。
味方がいないような、とてつもなく寂しい気分になったりしませんか。
甘すぎるから、得られないと突き落とされるジェットコースター。
自分への「いいね」
自分の価値を「人」に任せておくと、どんどん「自分」が感じられなくなってしまいます。
それは誰の人生なの?
でも、それも自分の人生なんですよね。
人の評価を追い続ける「わたし」の人生。
ただ、それがなんか違うかも、と気付いたら、違う道に行けるんだと思います。
自分の選んだものに一番に「いいね」をしてあげられるのは「わたし」。
ずっと見ていてくれるのも「わたし」。
なので、いつ得られるかわからない「人のいいね」ではなく、
いつでも「自分のいいね」を出していけたらいいな。
そんな風に思います。
素直に「美味しい」とか「美味しくない」とか
これを身につけたら「嬉しい」とか「ゴワゴワ違和感がある」とか
まずは、よく感じられるように。
そして、その「感覚」や「直感」にジャッジをしないで、そーかそーかと、うんうんとうなづいて。
そういう「今」を重ねていけたら、きっと
これがわたしの人生
と、ニヤリとできるんじゃないかと、思います。
生きるために人の「いいね」を求めてきてすっかり「いい子な大人」が習い性になった櫻子からいうと、これ、なかなか難しいです。
すぐに、「おいおい、それは かっこ悪いって思われるよ」
「ほらほら、おかしいって目で見られてるよ」という声が聞こえます。
怖がらせたり、感じたものを否定する声は、実は守ってくれようとする親心のようなものかもしれません。
ありがたいけど、それは「自分」の声ではないんですね。
素直に感じる。
これが「自分の声」。
感じたことに評価を加えないで、まるっと受け取る。
自分で得られる心地よさのための行動
なあんて、櫻子はまだもやもやと考えて、やっと言語化してみたところ。
次のステップは行動。
ちっさいことから積み重ねられたらと思います。
まずは、今日のランチを「安いからこれにしよう」ではなく、「これが食べたいなーと思うから」選ぶ。
まあ、お財布とは相談が必要ですが、
お金は純粋なエネルギーが形を得たものなので
「おいしー!これ食べられて超ご機嫌!午後も頑張れちゃうなぁ」といただくと
すぐに仲間を連れて返ってきてくれるかもしれません。
(と言って、毎日 うかい亭 に行く勇気はありませんが)
自分の好きを見つける、すごく大きくて結果がわかるは断捨離かな。
4年前、二人目妊娠中にプレミニマリストと称して、断捨離に励みました。
こんまりさんの『人生がときめく片付けの魔法』や佐々木典仕さんの『ぼくたちに、もうモノは必要ない』、筆子さんの『1週間で8割捨てる技術』を参考に。
捨てるとすっきりする感覚は残っていますが、実は「ときめき」で残すこんまり流はなぜか苦手でした。
今ならわかります。
ときめきの基準が「人に評価される」だったから、はっきりしないのは当たりまえ。
わたしの人生のために、「わたし」が心地よいものを残す、残さないものは潔く棄てるステップを踏み出します。
さて、何食べようかな。
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