選択のタイミング 捨てられないのは自分を見失っている?

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こんにちは。
ボディートークとヨガ プライベートな フルオーダーメイドのセッション ektan(エクターン)です。
櫻子が住んでいる地区で再開発があり、急に引っ越すことになりました。
引っ越しはたくさんの選択に迫られるタイミングですね。

4年前にミニマリストを目指してたくさん捨てたのですが、それでも改めて「あらまだあったの、こんにちは」のようなものがあります。

捨てられないのはなぜ?

「断捨離」という言葉は一般的になり、ものを捨てることを「断捨離」と表現するようになってますね。
もともとはヨガの考えをもとにしている行為です。
ただ「捨てる」のがよいではなく、「より意識して、残すものを選ぶ」という行為が美しく、より人生を豊かにするのでは、と思います。
捨てられないのは、もしかしたら
何が優先か、見失っている
感覚が鈍っている
ものに投影している
のかもしれません。
環境は自分を映し出しているといわれます。
とりわけ、家は自分自身の心の中かもしれませんね。
本当に大事なものだけにしたら、もっと家が落ち着いて居心地良い空間になるんだろうと思っても、なかなか実現しません。
ものに投影していると
勿体ない魂が邪魔をしたりします。
ほとんど着ないでサイズアウトした子供服とか、
おしゃれして出かけていた頃の服とか、
いただいた素敵な食器とか。
また、コレクター魂が邪魔をしたりします。
フィギュアや
食器、
セントジェームスのボーダーを20色とか(櫻子だけ⁉︎)
ものに投影するのは、自分が空っぽな気がしてしまうからではないでしょうか。
捨てるには自分が満たされていることが必要かもしれません。

見失っている、感覚が鈍って 選択できないとき

大人になって、「必要」の選択に追われて「ときめき」はそっちのけになっていたりしませんか。
使わないと「ときめき」も鈍ります。
「自分の好き」「自分が心地よい」がわからなくなってしまい、
誰かの期待に応えることを選択のものさしにすると、どんどん自分を見失うことになります。
自分の気持ちを自分で受け止めてあげてくださいね。
何を感じても否定しないで「そうなのね」と受け止めてあげましょう。
成績をずっとつけられて、評価されてきたわたしたちは、つい、世間さまの評判やウケ、「いいね」を考えてしまいます。
そして、自分の感じたことを否定する
そうすると、だんだん 心地よさから遠ざかってしまいます。
選んだことが心地よさ、しあわせに結びつかないので、だんだんとどうしていいかわからなくなってしまうかもしれません。
まずは、自分で自分の感じたことを受け止めましょう。
自分で自分の感じたことを「そうなのね」と受け止めても、大丈夫です。
誰も傷つきません。
誰かを嫌いと思っても、思ってるだけならその誰かは傷つかないんです。
(嫌いだよ!とアピールしたくなったら、嫌いとアピールしたいほど苦手なんだねーと受け止めて苦笑してあげましょう)
自分の思いを「そうなのね」と受け止めたら、
一番大切な自分がほっこりして、エネルギーアップ、魂が元気になります。
そして、捨てる勇気が湧いてきます。
空っぽの埋め合わせに数を揃えていたようなものは、捨てられます。
だって、本当は空っぽなんかであるはずがないのですから。
大切なもの、心地よいものは捨てなくていいのです。
こんなに大切なもの、心地よいものがあるんだ!とぎゅっとして包まれましょう。

自分で受けとめることができなくなっていたら

常に自分を否定してしまうというときは誰かに聴いてほしいという願いに変わることがあります。
見失って、わからなくなる時は誰かに話してみるといいです。
家族や友だちなど、身近な人には話しにくい時がありますね。
そんなときは、ぜひ櫻子にお話しください。
誰かに聴いてほしいという願いは、自分の声に意識を傾けていないと、高まる一方だったりします。
櫻子を相手に、否定しないで受け止める、話すことで自分の声を聴く、練習しませんか。
櫻子はお話を聴くことが大好きです。
顕在意識の声を聴きながら、潜在意識とバランスしていけたらと思います。
今年は紅葉が美しいです。

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